はじめまして、ブロックチェーン事業部の芋生(いもう)と申します。
私は2020年7月6日付でテコテックに入社し、本稿執筆時点で入社1か月が過ぎたばかりの新入りで、旅行とサーフィンが趣味のWEBエンジニアです。
WEBエンジニアとしての私のキャリアは、2018年に Java の学習を経て、2019年にサーバーサイドのプログラマーとしてスタートアップのベンチャーの事業会社にジョインしたところから始まります(それ以前は不動産業界で経理と営業を担当していました)。
テコテックのブロックチェーン事業部では、フロントエンドでの機能改修に携わっています(TypeScript & Vue.js)。
今回、本稿の執筆に至ったのは、「開発者ブログを書いてみたいです」と自ら立候補したことによります。
私は入社に先立ってテコテックの開発者ブログを読んだことで、テコテックにどんなメンバーがいるのか具体的にイメージをすることができるようになり、それが入社へと繋がりました。
そして入社から間もない私の目線での投稿が、このブログをご覧になる皆さまのお役に立てるのではと考えた末での立候補でした。
また、自分の書いた記事を読んでいただき、それに共感していただき、志を同じくする新たな仲間が集まってきていただけるとしたら、それは最高のプロダクトを創り出す為のチームビルディングに寄与するということなのだと私は考えています。
- 1. この記事の要約
- 2. ブロックチェーンとの出会い
- 3. 理想のライフスタイルの追求
- 4. 渡米 -> 米中戦争の予告
- 5. 米国の変様 -> 帰国
- 6. 新たな家族の誕生
- 7. テコテックとの出会い
- 8. 入社1ヶ月を経て
1. この記事の要約
ビットコインについては2011年に、米中戦争については2016年にその情報を耳にしていましたが、当時の私はビットコインなんて流行らないと思ったし、米中戦争なんて起りっこないと思っていました。
しかし実際の物事は当時の私の常識に逆らう形で進んでいっています。
自分のちっぽけな理性を超えた大きな流れのようなものを、私は否定できなくなりました。
その源流はテクノロジーと政治であると私は考えています。
この二つは人の暮らし、ライフスタイル、文化、法律を変えて、これまでの非常識を常識としてしまうような型破りのパワーがあります。
ブロックチェーン技術もきっとそんなテクノロジーの一つです。
2018年に長女が誕生したのを期に、世の中をもっともっと明るく楽しくして次世代に継承するぞと決意し、私はテクノロジーの世界に入門しました(単にIT業界に転職したとも言う)。
それでは以下よりブロックチェーンとの出会いや米中戦争について触れつつ、私がテコテックのブロックチェーン事業部にジョインするに至った話を紹介させていただきます。
2. ブロックチェーンとの出会い
さて、私が初めてブロックチェーンという名前を聞いた時のお話をさせていただきます。
時は2011年の初夏、東日本大震災の影響が冷めやらない中、私は東京都港区の赤坂にあるタワーマンションの一室にて面談に臨んでいました。
当時、Twitterで偶然つながった同世代のグループから「いま面白いプロジェクトを立ち上げている最中で、人手を集めている。一度話を聞いてみないか」という誘いを受けてのことでした。
その面談で聞いた内容を要約すると、「ブロックチェーンというアメリカ発の新技術によって開発された、インターネット上でグローバルに使える金券がこれから世界で一斉に配布されるが、日本国内での導入と分配を我々で行う」という話でした。
元祖おサイフケータイであったビットワレット社のEdyでさえ商業的には成功せず事業売却された後のことで、当時は一般消費者がオンラインショッピングで海外業者から直接商品を売買するにはいくつかの障壁が存在していました。
その内の一つであり、取り分け重要である決済の部分で、クレジットカードの様に大手企業の持つ保険機能を通さずに「ブロックチェーンを利用すれば直接的な個人間取引で安全に決済できる」というのが当時の私には信じることができませんでした。
言わばブロックチェーンを利用した決済のシステムの実現性を、当時の私の理性は拒絶しました。
3. 理想のライフスタイルの追求
その後、私はIT業界やベンチャー界隈からは距離を置き、不動産業界で仕事をしつつ、サーフィン愛好家としてロハスなライフスタイルの追求に走りました。
所属する会社次第で残りの人生のロードマップが決まるという旧来的な仕事観に基づいた人生ではなく、自分が理想と考えるライフスタイルを基点に人生を組み立ててみようと思った為でした。
そのライフスタイルに見合った場所の候補として、当時はニュージーランド、カリフォルニア、バリ島などへの移住を検討していました。
同時に、様々なボランティア活動なども行っており、そこで出会ったロシア国籍の女性と交際へと発展し、結局その女性と一緒に二人の夢を叶える為の旅にでました。
二人で一年をかけて東南アジア諸国を周遊した後、海外移住の第一候補先であったニュージーランドに渡航する際に、私達は問題に直面しました。
それは2015年のことでした、前年の2014年に発生したクリミア危機を受けて、英国の同盟国であるニュージーランドはロシア国民に対するビザ発給業務を停止していました。
その影響を受けて、私はロシア国籍者であるパートナーの分のニュージーランドのビザが用意できず、私達の旅はそこで頓挫してしまいました。
当時はインドネシアのデンパサールに滞在していたのですが、私は自分のパートナーを祖国に送り返して自分一人でニュージーランドへ渡航する気にはどうしてもなれず、夢は一旦は諦め日本へ帰国することにしました。
身近な協力者を犠牲にする形で実現する夢に価値を見出す事ができなかった為です。
帰国後、私達は入籍しました。
それから移住計画の渡航先をアメリカのカリフォルニア州に変更し、再び計画を練り直し、渡米への段取りを組み、夫婦で実行して行きました。
4. 渡米 -> 米中戦争の予告
そして2016年度の年度末から2017年の年末にかけて、私はカリフォルニア州のロサンゼルスに滞在していました。
2016年度の11月に留学先の下見をしながら観光をしていたところ、私はホテルで一人の男性と出会いました。
カナダの大手通信会社の役員をしていたという男性で、今度は不動産のビジネスを仕掛けるといってホワイトペーパー片手にカリフォルニアまで投資家を探しに来ていたそうです。
私もそのホワイトペーパーを見せてもらいましたが、その事業内容は、フランスのベルサイユ宮殿やドイツの古城などの歴史的な建造物をホテル兼住居として改築してサービス提供し、自治体の負担する建造物の維持コストを上回る収益を得るという、なかなか面白そうなビジネスプランでした。
当時はアメリカ大統領選挙の投票目前であり、「ヒラリーか、ドナルドか」というお祭り騒ぎの様な大統領選挙の行方をTVで見守りながら、私はこの男性と数日間に渡り色々と話をしました。
この男性と別れる最終夜に、私はこの男性から唐突に「もうすぐ米中戦争が始まる。」と告げられて、だいぶ当惑したのを覚えています。
その時に聞いた話を以下に要約します。
「この戦争の準備自体はずいぶん前から進んでいて、ついに決行される時が来た」
「今回の大統領選でドナルドが勝つかヒラリーが勝つかは本作戦の開始に何も影響がない」
「以前にカナダの大手通信会社の役員をしていた関係で、米中戦争の話自体は以前から知っていた」
「今でも当時に築いた人脈から情報だけは流れてくる」
「米中戦争の開始について、あなたに伝えるだけは伝えておいたから、後はどう準備するかはあなた次第だよ」
大体上記の様な内容でしたが、理性や常識と言った、自分の中にある価値判断の小さな物差しが全てであった当時の私にはとても信じることができない話でありました。
しかし、現実として、ファーウェイの副会長であり創業者の娘にあたる中国籍の女性がカナダにおいて逮捕されたのは、実にそれから2年後の2018年の12月の出来事でした。
ここでトランプ大統領が就任後まもなくロシアゲート事件でメディアから凄まじい批判をあびながらも、ロシアや北朝鮮と外交的な距離を縮める努力をしていたことが思い出されました。
あれは中国に対する合従連衡策の一環であったとも言えるのではないでしょうか。
5. 米国の変様 -> 帰国
私の母方の叔母がロサンゼルス在住の日系の米国市民である為、私は2001年にロサンゼルスを訪問したことがありました。
そして2016年の訪米時に私は「2001年度以前の牧歌的だったロサンゼルスは消失してしまった」と感じました。
この15年間でそこに暮らす人々のライフスタイルや文化や考え方が大きく変わってしまったという印象を覚えたのでした。
その原因を、同時多発テロと対テロ戦争という危機的な状況、そしてITイノベーションが後押しして、アメリカの法律・設備が刷新された為ではないかと私は考えました。
同時期に、私は在籍していた米国のカレッジを中途退学して日本に帰国することを真剣に検討し始めていました。
現地で米国内の経済成長が頭打ちになってきているのを肌で感じる一方で、ITイノベーションと法の制定によって、以前に日本国内で感じていたやりづらさや住みづらさは必ず克服できると確信した為でした。
高齢化・労働力人口の減少を危機的状況として、日本国内で法整備とIT設備の刷新が進むことで、これからの日本はものすごいスピードで改善が進んでいくのではと考えるようになりました。
2017年の12月、妻の在米ビザの更新のタイミングを直前に私はカレッジを辞めて、妻とそのお腹にいる子と共にひっそりと日本へと帰国しました。
< 章間コラム、米中戦争とブロックチェーン技術についての補足 >
2020年8月、現時点での米中戦争の形態は武力紛争ではなく、経済紛争・政治紛争だと言えるかと思います。 大国同士が軍事力の規模を競う時代が遂に終わり、経済力と技術力で世界に覇を唱える時代が到来したと言えるのではないでしょうか。 そして、2010年代より中国はIT分野への大規模な投資を行っており、中でも暗号通貨としてのデジタル人民元の開発は国家総出の一大プロジェクトです。 現在、国際取引における決済は基軸通貨である米ドルを媒介させるのが一般であり、米国が独占的な地位を占めています。 その中でユーラシア大陸に「シルクロード経済圏」を設けて、そこでの決済にデジタル人民元を用いるというのは、国際的な決済における米国の独占的な地位を崩さんとする中国による規模の大きな挑戦だと言えると思います。 また一方でロシア連邦はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)における国際的な決済システムとしてBRICs payと言う暗号通貨をブロックチェーン技術を用いて開発している途上であり、BRICsの盟友である中国による「シルクロード経済圏」と「デジタル人民元」の開発は抜け駆けに等しい行為だと捉えていてもおかしくないでしょう。 こうした背景を押さえておくと、日頃我々が目にする国際的なニュースについても、見方が変わってくるのではないでしょうか。
6. 新たな家族の誕生
日本帰国後の2018年の3月に妻が第一子を出生しました。
それを契機に、これまで自分自身の人生だと思っていた大部分が、単に先人達がお膳立てをした舞台の上に成立していただけに過ぎないことを私は思い知ることになりました。
そして、今よりも更に良い環境をつくって次の世代に継承することは、自分の人間としての最低限の義務だと考えるようになりました。
その為には、テクノロジーに携わるか政治に携わるか、将来的にはその両方が必要だと私は考えました。
私はここで、テクノロジーの分野に入門することに決めました。
私はプログラミングを学習し、サーバーサイドのWEBエンジニアとしてのキャリアをスタートさせました。
そして、この間にビットコインのバブルが弾けました。
しかし、これは吉兆だと、後の私は捉えました。
この暗号通貨バブルの崩壊は、イノベーター理論で言う所のアーリーアダプターの起こしたブームの終焉に過ぎず、これにより今後は暗号通貨がアーリーマジョリティへ浸透していく段階が訪れるだろうと考えた為です。
一方で、2011年にビットコインを日本で仕掛けると言っていたグループは、今度はブロックチェーンを使用した業務システムを海外から日本へと輸入するビジネスを仕掛けていることを知りました。
私は、自分も何とかその流れに相乗りできないものかと、ブロックチェーンを使用したシステムの開発について考えるようになりました。
しかし、上記グループは自社開発を行っていないため、エンジニアとしての参画を希望する私はそのグループにジョインするという選択は考えませんでした。
7. テコテックとの出会い
私がテコテックに出会ったのはそんな最中でした。
去る2020年の5月、新型コロナ騒動における緊急事態宣言が発令されてから1ヶ月が経過した頃合いに、私は求職活動を開始しました。
この段階で採用活動を再開していた企業としてテコテックはかなり早い方で、採用プロセス自体も早かったです(約2周間ほど)。
カジュアル面談にて、VPoEの八木からテコテック代表の釣崎がセガの出身であると聞き、セガ派であった自分もここでチャレンジしてみたいと思い応募にいたりました。
もちろん、テコテックが2016年に東京ビットコイン取引所(現DMM Bitcoin)を開設したことや、暗号資産の黎明期からブロックチェーンを使った開発に着手してきたことを知った上での決断でもありました。
また、カジュアル面談中に紹介されたテコテックの開発者ブログを読んだことは、後に入社の後押しになりました。
テコテックCTOの川人の記事は繰り返し読みましたし、スマート座布団の記事も色々な意味で面白かったです。
そして単に面白かったという以上に、その記事の内容を通じて将来共に仕事をするメンバーの人柄が感じられたということが、私としては何よりの収穫でした。
8. 入社1ヶ月を経て
さて、テコテックに入社してから1ヶ月を経て、私が思ったこと感じたことを以下にお伝えさせてください。
端的に言って、私にとってテコテックは「大人のベンチャー」というのに相応しい会社だと思いました。
ブロックチェーンという新時代の技術を使用した開発にも他に先駆けていち早く挑戦しており、また一方で受託開発会社としての開発の経験も豊富にあるからです。
以下に転記したテコテックの行動指針もまた、社内におけるベンチャー精神の重要性を明示しています。
コンピュータ産業の歴史において、自ら変化を富み、 チャレンジを続けた企業だけが永続的に成長していく。 事業や世の中は変化し続けるため機会損失のないよう、気づき、考え、作る、 そして社会に貢献するものとする。
元々、少数精鋭という方針でやっていたためか、プロジェクトで採用されている技術スタックはモダンであり、かつ先輩エンジニア陣の技術力は控えめに言っても高く、私は見ていて感動を覚えるぐらいです。
そして公式HPのいろいろな箇所で宣伝されている通り、やる気や意思を示せばその機会が得られる会社だと思います。
現に私も以前から興味があり、希望していたフロントサイドのプログラミングで仕事をさせてもらっていますし、この記事も立候補して執筆のチャンスをもらっています。
強いて不満点を書くとしたら、支給されるコンピューターのカラーバリエーションとキー配列が選択できなかったことくらいでしょうか。
それと新型コロナの影響で、社内イベントも延期になり、他部署のメンバーと交流する機会が得づらくなっているという点も対応が必要かと個人的には思っています。
しかしながら、現時点で足りない部分については将来を見据えて変えて行けば良く、私にとってのテコテックは望めば「ただ仕事をする」以上の体験を皆がつくっていける環境であると考えています。
長期間の在籍を経ることで見え方が変わってくるということもあるかも知れませんが、上記は現時点における私の率直な感想でございます。
本稿はここまでになりますが、ここまでお読みくださり誠にありがとうございました。
テコテックにご関心を寄せてくださる皆さま、テコテックは随時カジュアル面談を実施しております。
どうぞお気兼ねなく下記サイトよりご連絡くださいませ。
本稿に記載された国際政治に関する内容は、全て個人的な見解であり、当社の立場、戦略、意見を代表するものではありません。