新年明けましておめでとうございます!!
決済認証システム開発事業部の冨永です。
普段はiOS・iPadアプリ開発を中心に業務に携わっているiOSエンジニアです。
年も明けて、心機一転気持ちも晴れやかに過ごすために"東洋哲学"に触れてみるのもいいかなと思い、本ブログを執筆しました。
いきなりですが、エンジニアとして日々技術の進化に追われる中、焦りや不安を感じることはありませんか?
つい最近まで自分は新しい技術やスキルを次々に習得しなければならないプレッシャーに押しつぶされそうになることが多々ありました。
そんな中、『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』という本に出会い、
東洋哲学の視点から「自分」とは何かを問いかけるものであり、その教えが私の中の焦りを落ち着かせ、エンジニアとしての自分を見つめ直すきっかけとなりました。
今回は、エンジニアの皆さんにこの本の内容を一部を紹介し、心の余裕を取り戻すヒントを共有したいと思います!!
(実際のところ早ければ明日にはこの境地を忘れているであろう自分に向けて記事を書きました。)
[WARNING] 本記事はあくまで個人的な解釈を含むため、哲学的には異なる意見があるかもしれません 話半分に聞いていただき、温かく見守っていただければと思います。
目次
「空」から学ぶエンジニアとしての姿勢
エンジニアとして成長する中で、私たちはしばしば「つよつよエンジニア」になりたいという願望を抱きます。
カンファレンスで発表したり、周囲から頼りにされたりする姿に憧れを持つのは当然です。
しかし、私が本書を読んで感じたのは、そのような自己評価や他者との比較が無意味であり、むしろ焦りや悩みを生む原因となることでした。
この本の中で紹介されている「空」という東洋哲学の概念は、すべての存在が他との関係性の中で成り立っており、 概念自体が幻であるという考え方を示しています。
「空」を理解するために、自分自身の肩書きと自分の画像を載せ、肩書きは道具にすぎないという話をしたいと思います。
iOSエンジニアという肩書き
iOSエンジニア肩書きを見た時に、パッと見た時に「あ〜この人iOSエンジニアなんだと」思うのではないでしょうか。
ただ、iOSエンジニアという言葉一つでも、 では、明日からiOSアプリ案件以外にアサインされたら、自分はiOSエンジニアでなくなるのか?
しばらくiOSアプリ案件に関わっていなければiOSエンジニアではないのか?
未経験からいきなりiOSエンジニアと名乗ってはいけないのか?
とiOSエンジニアという言葉でさえ、その定義自体は曖昧なものだと気付きます。
プロジェクト内や組織内で"相対的に"iOSの業務の比重が多い人を自然とiOSエンジニアと呼ぶのではないでしょうか。
父という肩書き
実は子供が二人いるのですが、 いきなり2児の父として自分が誕生したわけではありません。
子供が誕生して、相対的に"父"を演じているという表現が自分にはしっくりきます。
なんなら今も子供以上にレゴで遊んだり、ゲームしたり、子供以上に子供しており、世間でいう"父親"としての自覚は低い方です。。。
皿クラッシャー
それこそ過去のバイト先や家庭内で、"皿クラッシャー"、"破壊神"という異名をワタクシは持っておりました。
でも良く考えると、「もし自分以上に皿を壊す人がいたら本当にこの異名になっていたか。。。」 と思わなくもなくないですか?
せめて、「皿の破壊課長」くらいで留まっていた気がします。
とはいえ、結婚の時にいただいた夫婦茶碗系の2対ある皿はすべて割ったので、反省はしていますよ!
つよつよエンジニアという単語もつきつめれば幻なのかな。。。と。
ここまで写真と肩書きを見比べていただいたと思うのですが、肩書きがなくなったところで自分自身は消えません。
肩書きそのものが自分を表すものではなく、肩書きはあくまで相対的なもので、言ってしまえば"幻"のようなものだともいえます。
つまり、「つよつよエンジニア」も、それ単体で存在するのではなく、他のエンジニアや環境との相対的な関係の中でのみ、その存在が認識されるものなのかなと自分は考えました。
私自身、つよつよエンジニアという理想像に縛られ、自分がその基準に達していないと感じるたびに悩んでいました。しかし、この「空」の考え方に触れることで、「つよつよエンジニア」という概念そのものは、他のエンジニアがいてこそ評価されるもの、ある意味"幻"のようなものであり、それは固定的なものではなく、環境や状況によって変わるものです。
つよつよエンジニアを目指すこと自体が悪いわけではありませんが、その存在を意識しすぎると、知らず知らずのうちに「悩む」方向に進んでしまうことがあるのかなと思いました。
では、我々エンジニアは何を目指すのか?何を指標にするのか?というところは次の章で触れる「道」にヒントがあるように感じました。
「道」から学ぶエンジニアとしての姿勢
「道」という概念は、東洋哲学の中で重要な位置を占めています。 「道」を提唱した老子の言葉には無為自然という教えがあります。これは、自分を偽ったり、無理に変えようとしたりせず、自分の本質を受け入れた上で成長することが、最終的には最強の状態を生み出すことかなと解釈しました。
正直、ここの「道」の概念理解は自分も咀嚼できておらず、深くは理解できておりません。
ただし、こういうことなのかな〜とエンジニアのキャリアでも似たような話があることに気がつきました。
自分は技術カンファレンスのスタッフとして参加し、 登壇者の方や海外の有名なiOSエンジニアの方と話すことがあるのですが、その際に
「どうしてここまで精力的に活動できるのですか?」
「どうやってここまで技術を極めることができたのですか?」
「どうしてこの重要ポジションになったのですか?」
と聞くと、みんな口を揃えて
「好きなことしてたら自然とこうなった。」
と言っていた気がします。
エンジニアとしての仕事においても、これらの教えは非常に有用なのかなと。
私たちはしばしば、新しい技術や他人のアウトプットで焦りがちですが、
自分自身の興味関心に目を向けて、好きなことをただやるだけ
でいいのかなと。
もし、好きになれなかったら、好きになれそうなポイントを探すというのもいいと思いますし、 好きなポイントが見つからなかったら、目の前の業務上の課題を解決するというのもいいと思います。 尊敬するエンジニアの方で、日々の業務課題を解決するブログを毎日投稿してたら、 気づいたら技術力が勝手に上がってたみたいな話も聞きますし。 そもそもエンジニアリング以外のことをすることで、別の才能を目覚めさせるかもしれません。
まずは、自分自身のありのままに認識し、自分自身の気の向くままに動くことが最も効果的で成長するということかなと自分は解釈しました。 (ただ、この成長という単語自体も"幻"のような気がしてきますね。)
もう一つ、「道」とは別で、エンジニアとしての成長のヒントになるような概念で「密教」があります。
次の章では「密教」についても触れたいと思います。
「 密教」から学ぶエンジニアとしての姿勢
「密教」は、特に空海によって日本に伝えられた仏教の一派で、深い精神的な修行を通じて悟りを得ることを重視します。 密教の修行の中で重要視されているのが、「身・口・意」の一致です。これは、大日如来(仏)の言葉や考えを真似ることで、同じ悟りの境地に達しようとする修行法です。この考え方は、エンジニアとして理想とする人物やスキルを身につけるための方法として非常に参考になると感じました。
例えば、理想とするエンジニアや尊敬する人物がいる場合、その人の行動や考え方を意識的に真似してみることが、自己成長の大きな一歩となります。
X(旧Twitter)でフォローしているエンジニアがどのような考えを持ち、どういった発言や行動をしているのかを観察し、それを日常の業務に取り入れてみるのも一つの方法かなと。
また、職場で尊敬する先輩や上司がいるならば、その人の仕事の進め方や考え方、コミュニケーションのスタイルを学ぶことも大切です。
密教の教えでは、この「真似ること」が単なる模倣に留まらず、自分自身の成長に繋がる重要なプロセスとされています。
エンジニアとして、特に若手のうちは、自分自身のスタイルや考え方を模索している段階です。その過程で、理想とする人物を真似ることで、自然と自分の中に新たな視点やスキルが培われていきます。
このように、密教の「身・口・意」の一致の教えを取り入れることで、エンジニアとしての自己成長を加速させることができるのかなと思いました。
全体の感想
本書を読んで、私はエンジニアとしての姿勢や考え方に多くの気づきを得ました。本書は、東洋哲学をユーモラスかつ親しみやすい形で解説しており、哲学に馴染みのない人でも楽しみながら学ぶことができる内容です。どちらかというとギャクマンガを読んでいる感覚で読んでいました。
この本を通じて、「空」「道」「密教」という東洋哲学の教えが、エンジニアとしての自己成長や日常業務に活かせるなと感じました。特に、自己評価に囚われず、自然の流れに身を任せることの大切さは、私にとって新たな視点を与えてくれました。
また、本書の魅力は、哲学的な教えを難解なものとしてではなく、日常生活や仕事に結びつけやすい形で紹介している点にあります。エンジニアリングという論理的で実践的な分野においても、東洋哲学が示す心のあり方や考え方は、非常に有効な道しるべとなることを感じました。
最後に、このブログを通じて、ざっくりとした内容を理解していただけたかもしれませんが、本書の真髄は実際に読んでこそ味わえるものです。焦りや不安を感じることがあれば、この本に立ち戻り、心を落ち着けるためのヒントを得ることができるでしょう。そして、自分なりの解釈や気づきを深めるためにも、ぜひこの本を手に取って読んでみてください。読むことで、エンジニアとしてだけでなく、一人の人間としても成長できる貴重な体験になるはずです。
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